プロフィール

ありのままの自分で生きる人を応援する
マインドフルコーチ すぎたしずか です。

<主な経歴>
臨床検査技師として病院検査室に勤務
臨床検査事業会社にて品質保証部門の管理職を経験
<主な資格など>
ICF(国際コーチング連盟)ACC認定コーチ
キャリアコンサルタント
メンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種
EAPメンタルヘルスカウンセラー 資格認定試験 合格 / eMC®研修生
NLPマスタープラクティショナー
禅メソッドアカデミー マスター講座修了

✅他人と比較して自分にダメ出ししてしまう
✅他人の評価が気になって、自分のやりたいことができない
✅自分に自信が持てず、「どうせ自分なんて…」と思ってしまう
✅他人の視線が怖くて、目を見て話せない

これはかつての私です。

コーチングに出会い、わたしをありのままに受け止めてくれる
そんなコーチやコーチングをともに学ぶ仲間に出会えていなかったら
今もこれらの悩みを抱えながら生きていたかもしれません。

自分ひとりではなく、ありのままで受け止めてくれる人、
自分の可能性を信じてくれる人がいてくれることが大切であり、
わたしにとって、それはコーチであり、コーチングをともに学ぶ仲間でした。

コーチングの学びをきっかけに、NLP心理学や禅などを学んだことで
自分のあり方が大きく変化していきました。

誰もが持っている可能性を心から信じることができ、
自分やメンバーの可能性を信じることができるようになっただけでなく、
自分やメンバーの言動を俯瞰してみることができるようになり、
管理職としての自分の壁を越えられた気がしました。

自分の感じている漠然とした不安が
過去や未来に囚われているからだと知り、
”いま、ここ”に意識を向けることで漠然とした不安が軽減することを体感し、
これまでなんとなく感じていた、重い鎖につながれているような感覚から
解放されていく気がしました。

そんな経験を経て、わたしと同じように悩み、
心の鎖に縛られている人たちを応援したいと思うようになり、
マインドフルコーチとして活動を始めました。

コーチなら誰でもいいということではなく
悩みを解消するにはコーチとの相性
が大切です。
相性を確かめるためにも、私のプロフィールを読んでいただけるとうれしいです。

わたしがどんな人生を歩んできたのか、
なぜコーチになろうと思ったのか、
少し詳しくまとめましたので、ご興味がある方やコーチングを受けるか迷っている方は ぜひ最後まで目を通していただければと思います。

目 次

おしゃべりで活動的なこども

両親と妹の4人家族
とにかくおしゃべりで、運動音痴だけど体を動かすことが大好きで、
歩きながら…、お風呂に入りながら…、大きな声で歌い、
学級委員や運動会の終わりの言葉を代表で話すような
元気で、人前で話すことや目立つことが好きな子どもでした。

母が突然自分の前からいなくなり、漠然とした不安を感じ始めた

小学5~6年生の頃、母が家を出たことがありました。
(翌日、私が高熱を出したことで、一日で戻ってきましたが)
母から話を聞いていて、両親が不仲であることは知っていましたし、
夜中に両親がもめているところを聴いていたりしていたのですが、
休日に家族で出かけたり、家族旅行に行ったりしていたので、
突然いなくなったことは驚きでした。

人は突然目の前からいなくなってしまう、
自分にはなにもできない

この時からそんな漠然とした不安を感じるようになりました。

同じころ、同じクラスの友だちから何度か仲間外れにされたことがありました。
理由はわかりません。
そんな時はほかのクラスの友だちと過ごすことで乗り切っていました。
心配をかけたくなかったし、話したら母がまたいなくなってしまいそうで…母には仲間外れのことは話せませんでした。

無意識に”いいお姉ちゃん”を選択していた

ご飯を炊く、お風呂を掃除する、妹を保育園に迎えに行く…
小学生になると同時に、さまざまなお手伝いをやっていました。
妹が同じ年齢になっても、妹はお手伝いを頼まれることがなく
理不尽さを感じつつも、”お姉ちゃん”だから仕方ない、と思っていました。

妹は発熱すると高熱になることが多く、母は仕事を休んで看病していましたが、
私は高熱になることはなく、わたしが発熱しても母は仕事に行き、私は一人で家で寝ていました。
生活のため、母が仕事に行かなくてはならないことをなんとなく理解していた私は
それに対して文句を言うことはありませんでした。
ほんとうはさみしかったし、不安だったし、そばにいてほしかったのですが、
母の状況を理解し、自分の感情を抑え、

”いいお姉ちゃん”でいることを無意識に選択
していた気がします。

他人の気持ちはわからない、人は自分の前から急にいなくなるもの

中学1年のある朝、登校前に友人たちとの集合場所に行くと時間になっても誰も来ず、
学校に行ってもその友人たちから無視されるという出来事がありました。
この時もほかの友人たちと過ごすことで耐えることはできたものの、
再び「人は自分の前から急にいなくなる」という体験をすることになったのです。
誰とも話せないという状況ではありませんでしたし、いわゆる”イジメ”でもありませんでしたが
誰も来ないという体験は、私の中で深い傷となって残ることになりました。

(いまでも、待ち合わせ時間に相手が少しでも遅れると、落ち着かない気持ちになる自分がいて、このときの影響が残っているのだな、と思っています)

この時も、やはり私は母に話しませんでした。
心配かけたくない、私のことで悩ませたくない、困らせたくない、
話したら、母がまたいなくなってしまうのではないか…
そんな恐怖を感じていたような気がします。

摂食障害(拒食症)になり、入退院を繰り返す

もとはよく食べる子どもでしたが、この頃から食べる量が少しずつ減っていきました。
減らそうと意識した部分もありますが、あまりお腹が空いた感じはなかった気がします。
部活(軟式テニス部)以外にもランニングや自主練習をしていたにもかかわらず、
食べる量が減っていったため、体重はどんどん減少していきました。
体重が減っていくことが楽しく、
自己コントロールできている感覚に心地よさを感じていました

中学2年のとき、心嚢液(心臓とそれを包む膜の間にある潤滑液)が貯留していることが判明し、
大学病院に入院、手術を受けました。
その後、心嚢液の貯留は認められませんでしたが、体重の減少が著しく、
生命の危険があるとのことで、栄養補給(点滴)を目的とした入院を何度か繰り返しました。
この時に「摂食障害」と診断され、心療内科を受診しましたが、
対応した医師のことが信頼できず、受診したのは一度きりでした。

ふつうなら動けないほど痩せていたにもかかわらず活動的でした。
また、自分では痩せているという感覚がなかったので、食べなくても問題と思っていました。
食べると膨らむお腹に嫌悪感を抱いていたこともあり、
”食べる”という行為を拒否していましたが、なぜか点滴には抵抗がなく、
入院中は点滴を受けていました。
当時の私は気づいていませんでしたが、入院することで母が私を気にかけてくれること、
私のために時間を使ってくれることがうれしかった
のかもしれません。

拒食から過食に転じ、自己嫌悪の塊に

高校受験の頃は階段を昇るのもやっとで
試験時間中、座っていられるかを先生から心配されるほどの状態でした。
高校は無事合格したものの、体重が減少していたため、
入学式翌日から入院することになりました。
退院後、しばらくは登校せずに家にいたのですが、この頃から過食するようになりました。
体重は増加し、体力も回復、本来であれば問題なく登校できる状態のはずなのですが、
太っている自分、食欲を抑えられない自分がイヤでたまらず、
誰にも会いたくない、こんな自分を見せたくないとの思いから不登校に

その結果、出席日数が不足し、留年が決定…
親に申し訳ないと思う気持ちもありましたし、
なにより自分のことを「ふつうではない」と思っていて、自己嫌悪の塊でした。

翌年から何とか登校し、欠席日数は多かったものの何とか卒業することができました。
担任や友人たち、母が過度に干渉することなく、見守り続けていてくれたおかげだと思います。
一方、過食状態は続いていて、”食べる”ということに囚われていた時期でした。
人前で食べることに抵抗があり、外ではあまり食べられず、
ひとりで家にいるときに大量に食べて、お腹が満たされて眠る、
目が覚めると自己嫌悪に陥る…という日々
を送っていました。
やりたいこともなく、部活も途中でやめ、勉強する気にもなれず、
どうにもならない自分から逃げたくて仕方ない、そんな高校生活でした。

結婚して、しあわせになれると思ったのに

大学に入学後も過食状態は続いていましたが、興味を持った分野ができたことで
勉強をする意欲が出てきて、限られた人間関係ではありましたが卒業することができました。
そんな中、友人からの紹介で知り合った人とつきあうことになり、卒業と同時に結婚。
自分を受け止めてくれる、どう思われているか気にせずにいられる、
そんな人と出会えたと思っていたので、結婚することに迷いはありませんでした。
結婚と同時に、生まれ育った東京から山梨に移住することになりました。

結婚相手は長期出張が多く、慣れない土地での社会人生活のスタートはストレスフルでした。
仕事にはやりがいを感じていたものの、知り合いもなく、気軽に話せる人もいない中、
山梨での生活は私にとってとても居心地が悪いものになっていきました。

知らない人から「〇〇さんちのお嫁さん」と言われ、
同僚に家まで送ってもらっただけで近所中で噂になり、
どこを歩いていても見られているような気がして落ち着くことができませんでした

実家に帰る(=東京にいる)ことだけがリフレッシュできる唯一の方法でした。
電車に乗って、新宿駅に着いたときに感じた安堵の感覚はいまでも忘れられません。
誰もわたしのことを知らない、噂されることもない、
すきではなかった雑踏がとても居心地のいい場所に感じました。

そんな日々を過ごす中で、
しあわせになるために結婚したはずなのに…そんなことばかり考えていました。

大切にされる価値のない人間

ずっと、自分と同じ遺伝子をもつ人間なんていらない、そう思っていたのですが
結婚相手との間に子どもがいたらしあわせそうだな、と思い始めた矢先、妊娠が判明。
でも、しあわせになるどころか…妊娠を機に、もともと合わなかった義母の考え方が
より一層受け入れがたいものに感じるようになりました。
東京に戻りたい、出張に行かないでほしい、そばにいてほしい…
不安からくる私の言動に結婚相手は振り回され、相手との関係もギクシャク
していきました。
妊娠によるホルモンバランスの変化なども影響していたと思いますが、
相手と関係を修復できないまま、子どもが1歳になる前に離婚しました。

実家に戻った私は精神的にかなり不安定になりました。
離婚した現実を受け入れがたく、またすぐ一緒に暮らせるようになると考えていました。
一方で、一緒に歳をとっていきたい、そう思っていた相手が自分より親を選んだ、
私は選ばれなかった、自分は大切にされる価値のない人間なんだ
そんなふうに感じていました。
腕に爪で傷をつけ、その痛みを感じることで心の痛みから目を背けようとする毎日
子どもの笑顔がつらく、でも、子どもがいなかったらどうなっていたのかわからない、と思います

心の痛みと向き合うことはできませんでしたが、「生きていくしかない」と覚悟を決め、
離婚した事実を受け入れていきました。

管理職としての壁

CADオペレーターとして再就職した先で知り合った人と再婚し、
その後、臨床検査事業会社に転職。
再婚する頃には人前で食べることへの抵抗感がなくなっていて、
生活も仕事も大きな波風なく、10何年かが過ぎていきました。
積極的に人に関わることは苦手でしたが、
目の前の仕事をやっていくことで少しずつ評価されるようになり、
2017年に管理職(教育研修部署)になりました。

が、メンバーとじっくり話をすることを避け、打ち合わせの場では感情的に反応し、
チームとして機能させることができず、管理職として自分の壁を感じていました。

元々、管理職になりたかったわけではありませんでした。
こんな自分に管理職が務まるわけがない、なんでわたしが管理職をやらなくちゃいけないのか…
そんなことを思っていたのに、上司が急に退職することになり、なぜか部長に昇格。
どうしたらいいのか、よくわからないまま仕事を続ける毎日でした。

空っぽで価値のない自分を見透かされているような怖さから、人の目を見て話していない自分に気づく

教育研修部署に異動してしばらく経ったころ、初めてコーチングに出会いました。
最初は社内研修として導入したいと考え、「まずは自分が知らなくちゃ!」と学び始めたことが
その後の転機につながりました。

ある日、コーチングで知り合った人から「肩になにかついてる?」と聞かれ、
初めて自分が相手の目を見て話していないことに気がつきました。
無意識に相手の目ではなく、肩を見て話していたようです。
人の目を怖いと感じ、自然と目を逸らしている自分に、自分でも驚きました。

自分の心の中を見られているような、
空っぽで価値のない自分を見透かされているような、
そんな怖さを感じる一方で、
他者にどのように思われているか、常に気にしている自分にも気がつきました。

自分を縛る鎖からの解放

コーチングとの出会いは、わたしの人生を大きく変えるきっかけになりました。

コーチングを学ぶ場は、講師はもちろん、受講者も”相手の可能性を信じて”いる人たちでした。
わたしが目を見て話せなくても、ネガティブな発言ばかりしていても、その人らしくいることを肯定してくれる…そんな場でした。

コーチングを学ぶ中で、わたしをありのままで受け止めてくれる人たちがいることを知りました。
自分には価値がないと思い、他者の評価をいつも気にしていたわたしにとって、そのままでいいのだと思わせてくれる場は大切な場になりました。

そして…いつの間にか、人の目を見て話せるようになっていました。
また、それまで大嫌いだった自分の”クシャ”とする笑顔を少しずつ好きになっていきました。

コーチングの学びをきっかけに、NLP心理学や禅などを学んだことで自分のあり方が変化していきました。
誰もが可能性を持っている、と心から思うことができ、
メンバーや自分の可能性を信じることができるようになっただけでなく、
メンバーや自分の言動を俯瞰してみることができるようになりました。
管理職としての自分の壁を越えられた感じがしました。

自分の感じている漠然とした不安が過去や未来に囚われているからだと知り、
”いま ここ”に意識を向けることで漠然とした不安が軽減することを体感し、
これまでなんとなく感じていた息苦しさ、重い鎖に繋がれているような感覚から
解放されていく気がしました。

ありのままを受け止めてくれる人たちに出会えたこと、
自分のイヤな面や弱い部分を見せても大丈夫だと思える、安心安全の場を持つことができたことで
自分を縛る鎖から解放された
…そう思っています。

自分のありたい姿に向かって

教育研修の部署から品質保証の部署に異動し、管理職として業務を行うことが自分に向いている…と思えるほど、当初感じていた”管理職の壁”は消えていました。

ただ、社内にはメンタル不調者が多く、これまでの学びを活かしてなにかできないか、
教育研修や社内コーチなどでメンタル不調を防ぎたい、メンタル不調者のサポートがしたい、
そんなふうに考えるようになったのですが、社内で活動することは難しく、限界があることがわかりました。

職場にいろいろ不満は感じつつも、それなりに楽しんで仕事をしていましたが、
自分がどう生きていきたいのか、どうありたいのかを考えたとき、
「少しでもラクに、その人らしく生きる」「もやもやから一歩踏み出す」サポートがしたい、
そんな想いが強くなり、2022年12月末で退職し、コーチとして活動を始めました。

さいごに

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

自分のことを好きになれない、そしてそんな自分がイヤ…そんなわたしがコーチとして活動するようになるなんて、数年前には考えられませんでした。

悩んだり、どうしたらいいのか迷ったり、生きづらさを感じていたり…そんな人が少しでも減ったらいいな、そのお手伝いができたらいいな、と思っています。

もし、あなたがいま、悩んだり、迷ったり、生きづらさを感じていたり…そして、そんな自分を変えたいと心から願っているのなら、コーチングを受けるという選択をしてほしいな、と思います。

コーチングってどんなもの? と思っているあなた
まずは体験コーチングを受けてみませんか?